こんにちは、ツバキです。
年を追うごとに気になりだす呼び方に、高齢者とは何歳からを言うのか?という言葉に
耳を傾けてみました。
まわりには意外と年配の方が多くて、(自分の事含めて)「孫がいるから、もうおばあ
ちゃんですよ」と言う50代の方もいれば「50,60はまだ若造だ」と言われる80代の方も
いらっしゃいます。
今は昔と違って、平均寿命も伸びていて、若くて健康な方が多く見受けれます。
65歳以上となると、年齢的には高齢者になるのでしょうけど、やはり気持ち的なもの
ってあるような気がします。
日本で言う高齢者の定義は、年金を貰える65歳以上となっていまです。
老人福祉法では、老人の定義はないとも言われています。
それならなぜ65歳から老人と言うのでしょうか。
老人福祉法では具体的な施策対象を65歳以上と言っているようです。
ですから一般的に65歳以上を老人と言っているに過ぎないのです。
用語の使い方なのでしょうが、老人と言葉にするのと高齢者と言うのとでは受け取り方
が違うのではないかと思います。
65歳を迎え、年金受給者になり、福祉も優遇されるようになる。
そして、「自分は老人なんだ」と自覚してしまう人もいるようです。
60年70年前なら65歳は立派な老人だったかもしれませんね。
でも、現代は長寿国です。元気な方が多い日本です。
老人と言って欲しくない人もいますし、見て欲しくない人もいるでしょう。
人は見た目で判断すると言いますが、どうなのでしょう?
見る側も見られる側も、人それぞれだと思うのですが、65歳以上になっても、老人と呼
ばれたくない人は多いかもしれませんね。
先日、某チャンネルでこんな事を言っていました。
「今の日本の高齢者は元気で、テニスだろうがボクシングだろうがやろうと思えば出来
るし、私は75歳だけど始めている。皆驚いていたけど、それだけ元気なんですよ、今
の高齢者は」と言っていました。
この方は、「75歳になっても動けるんだ、働けるんだ」と言っています。
また、こんな事も言っていました。その方の言葉を抜粋して書かせて頂きます。
人間の頭脳は二十歳がピークで、だんだん衰えていくというけど、それはトリックで、二十歳で出来た脳はほんの僅かだけ減っていって、70歳以上になると2%位減っていく、それを大袈裟に言ってしまった。
ところが脳は二十歳の頃形作られのは本当だが、それから少しずつ減っていく、それよりもっと組み換えが行われて、知恵の量が増えていく。脳細胞は一日に20万個死滅すると言われていたけど、実は50年経って2%しかなくならないということが判った・・・
人間は相手が見る年齢になる、ヨボヨボして小言ばかり言って老人風だと、まわりも老人だと見て自分も老人だと見てしまう、それも分かってきた。自分は45歳(例え)だと思わなければいけない。
最近の美容に関しても、今は嘘がない本当を書くようになった。
老人の歩き方は、歩幅が小さくなる、老人的な歩き方は徐々に歩幅が短くなる。意識して若い時と同じ歩幅で歩くと、いつまでも若々しく歩けるという最新の情報がある。
生きている限り元気な方がいい、生きている限り働くほうがいい、精神的には物忘れを年のせいにしない、60~70になれば衰えてくる。言い聞かせると脳はそのように受け取ってくれるし、意識すれば筋肉も付けることが出来るようになる。
おっしゃる通りだと思います。
誰かに言われてその気になる、よくありますよね。
頻繁に同じ言葉を聞いていると、イメージ通りの自分を創り上げること。
この方は有名な方で、科学的根拠のもとでお話されていました。
これはほんの一部に過ぎません。
私達は間違ったことを植え付けられているのかもしれません。
小さい頃から教えられてきたことや思い込みは、間違っていることもあります。
意識することで変えられることを再認識することが出来ました。
頭の中に新たにインプットし行動することで、生き方は変えられると思います。
65歳、70歳になったから自分は老人だと思い込むのは止めて、自分の思う年齢で生きるのも楽しいと思います。
この話の内容は、年金の話だたのですが、これから生きていくためにどうあるべきかを
教わったような気がします。
物事は発想の転換です。意識を変え思考することで良くも悪くもなります。
老人や高齢者の定義は置いといて、生き方に定義は必要ないような気がします。
どんな呼ばれ方であれ、自分が納得しているのであればそれで良いのかと。
呼ばれ方でなく、生き方なのではないかと思いました。
自分が楽しいと思ったらそうすれば良いのです。(誰かに迷惑を掛けないように)
元気に笑って生きたいものですね。(^ν^)
最後までお読み頂きまして、ありがとうございます。
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